山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

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ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
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済南 鉄公祠


鉄公祠は大明湖の北岸に位置し、明代の兵部尚書鉄鉉を記念して建てられた祠廟であり、「鉄公祠」の扁額は清代の翁方綱の執筆によるものである。鉄鉉は河南省の人、明の建文帝時代に山東の済南を守備し、山東参政(山東布政史参政のこと。参政は全国十三カ所に置かれ、地方の行政を統轄した布政史の属官)に任命された。


1400年、明の燕王朱棣が「靖難の変」を引き起こし、北京から軍を率いて南下し甥である朱允炆と帝位を争った。朱棣の軍が済南に至ると、鉄鉉は守備を固め、燕王はしばしば攻撃したが攻め落とすことができず、そこで済南を迂回して南京を攻め落とした。その後燕王軍は破竹の勢いで南京を攻略して建文帝を追い落とし、皇帝に即位して永楽帝となり、再び済南を攻めて陥落させると、鉄鉉は捕虜となったが頑として降伏せず、南京で凌遅(この時代の「磔」は凌遅処死を指す。謀判等の大罪人を処刑する方法。) に処され殺された。