蓬莱
蓬莱は仙境の代名詞として戦国時代の道士達によりまず称し響いたのだ。
蓬莱城の北の海面は常に蜃気楼が出現するので、当時の人達はこの自然現象に対して科学的解釈するすべは無く、道士達はこれに誇張と神話を加えて、あれは海上の神山で、山上には神仙が住み、おまけに不老長寿の薬があると言ったのだ。
道士達の扇動により戦国時代の斉の威王、斉の宣王、燕の昭王は皆嘗て人をここに派遣して仙人を探して薬を求めた。
秦の始皇帝は六ヶ国を統一後大秦帝国の国土不変と自分の不老長寿を求め、名声を慕いここに至り神山を探して、仙人を求めて未だ結果を得られぬ故、西暦紀元前210年道士徐福を派遣して、3000人の童男童女を率いて海に渡り仙人を求めた。
漢の武帝が仙道を求める活動は始皇帝より熱心で、及ばないことはありませんでした。漢の武帝は23年の間、次々に8回の巡行をしましたが、殆ど毎回、蓬莱に到達しています。漢の元光二年(紀元前133年)、彼は最後の巡行で再び神山に行きたいと願ったが叶わず、他ならぬ、この築起の小さい城を蓬莱と名付けました。これより、実在の仙境「蓬莱」がこの世に存在するようになりました。
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