山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

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ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
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今日のベルトのバックルには、「草原の血統」が残っている。



草原の猛虎が身なり逞しく捕食し、イノシシが反撃し、命がけで飛びかかっている。2,000年以上前のこの瞬間は、像として金属のバックルに刻まれている。


この品物はどんな用途にであったのか。イノシシ🐗もトラ🐯と噛み合えたのであろうか。金属プレートの裏側にはどんな情報があるのであろう。三つの観点で虎豕闘金飾牌(トラとイノシシの戦いのバックル)を紹介したい。

今日のベルトのバックルは「草原由来」である

この金属バックルは1979年にオルドスのジュンガル旗西溝墓地から出土した。戦国晩期の作品で、考証では革のベルトの装飾である。このような飾りバックルのベルトは、古代に草原の遊牧民族が使用したものでである。古代の中国平原の民族の伝統的なベルトは、素材の多くが布やシルクでバックルの無いものである。民族の交流と融合につれ、革ベルトやバックル装飾を使用する地域も次第に広まって来た。隋唐時代になると、腰ベルトは正式に官公庁の正式配備となった。ベルトの装飾品も各階級の身分を反映した。

唐朝のベルトとバックル
今日では、各種各様のベルトとバックルに2,000年前の影を落としている。

現代のベルトとバックル

猛虎とイノシシの咬み合うのは理に叶ってるのであろうか


トラとイノシシの戦う模様の金属バックルのデッサンは土地柄である
この虎とイノシシが咬み合う模様の金属バックルのデッサンは、二種の動物の姿の輪郭がより鮮明に描かれている。猛虎が下で、イノシシが上、相互に咬み合う。このような草原の生態が生活する場面の動物模様をバックルは、紀元前7世紀から紀元前5世紀に多く見られ、ユーラシアの大草原で特徴的な器物の一つである。イノシシも古代の草原では猛獣に属する。当時遊牧民の活動範囲は広く、荷車は(ロシアのシベリアの)エニセイ川流域から、東は中国北方までの草原であった。この広大な空間に相応しい題材を見つけ、虎とイノシシの闘争する構図を捜索(そうさく)した。

虎頭形の符節の雌型や、トラとイノシシの戦う模様の金属バックルは同じ墓から出土した。

銀製品から推測すると、トラとイノシシが咬み合う模様の金属バックルの使用者は、戦国晩期から前漢早期の草原の遊牧民貴族と見られる。これは腰ベルトのバックルとして腰の正面にあり、その尊貴な社会地位と巨大な権利を顕彰している。

背面の刻印には「産地表示」と「品質管理」が示されている

バックル背面の鏨彫は整然とした文字が刻まれ、強烈な中華文化の特徴を表している。

始めの「産地表示」の「故寺豕虎三」の、「故寺」はこの金属装飾を製作した場所を指す。「豕虎」は装飾を指す。「三」は「番号」である。
もう一つは「品質管理」である。右側の「一斤二両廿朱少半」、秦の度量衡(どりょうこう)では今日の約300グラムに相当する。金属バックルの重量を実測してもこの結果を実証する。同時に、銘文の書写の風格は秦の文字と大変に相似している。これにより、金属バックルと秦国の関係は密接で、あるいは秦で聖像されたと判断できる。
草原様式が濃厚な金属バックルは、中国平原で種類豊富な腰ベルトのバックルへと進化した。中国の歴史上の民族融合は途切れることなく、連綿と続き、時は流れても、春はまた来ている。