漢字初の解釈:棄
「棄」は、会意文字である。
甲骨文の「棄」 、 字は多種多様の書き方があるが、一つには上中下の構造の字形であり、上部は「子」 の字であり、生まれたばかりの嬰児であり、上部の三つの点は、この嬰児が生まれたばかりの時に体から流れ落ちる羊水(また嬰児の鳴き声とも言う)を表している。中間は「其」(唐箕) であり、下部は両手 である。三つの部品を合わせて生まれたばかりの嬰児を唐箕に入れて、両手で唐箕を持ち嬰児を棄てることである。
古代には生活が苦しく医療条件も大変悪く、嬰児の死亡率は七割にも及んだ。死産や奇形欠損した嬰児は、あるいは養育する余裕がなく、あるいは逆子は不吉(こういう子は悪魔に育つという迷信があった)であり、またあるいは特殊な状況で棄てられた。
「棄」て子は当時の先人の生活状況を反映している。周の始祖后稷の母親姜嫄は自分の子を妖鬼と見做して、后稷を街路に棄てたが、牛馬は避けて通ったので、姜嫄は山に棄てなおそうとしたが、人目が多くて実行できなかったので、姜嫄は后稷を氷河に棄てると、大鳥が翼で覆った保温した。姜嫄はこれは神の御加護と感が得て、后稷を連れ帰り精神的に養育した。后稷は出生後に捨てられたので「棄」と名付けられた。
第二の書き方 は第一種の字形の右側に両手に縄を持つ記号が加えられ、嬰児を入れた唐箕を縛ってから運んで棄てたことを意味している。
金文 の上部の「子」 は全て逆さに書かれており。既に死んだ子供であることを表しており、周代晩期の「棄」 字の中間の唐箕の形は乱雑に積まれた「草」(あるいは甕棺とも言う)で、下部は両手であり、この字は死んだ子供を棄てたことを表している。春秋時代の「棄」は基本的に甲骨文の字形を継承しているが、「子」だけは逆さに書かれた。
小篆 は春秋時代の字形を継承している。籀文 は小篆の を省略している。隷書 の字形は変化が大きく、上部の「云」 に似ている。下部は の形に似て(隷弁)、楷書は変化して になった。
「棄」の本義は新生児を遺棄することである。『孟子・梁惠王上』に、「甲を棄て兵を曳いて走る。」
「棄」は遺棄する事から廃除する意味に発展した。『春秋左氏伝』に「水官棄(すた)るなり。」。
「棄」はまた立ち去るの意味もに発展した。『戦国策・秦策』に「子は寡人を棄てる(あなたは私を棄てた)。」。
「棄市(キシ)」は、賑やかな街中で死刑執行し、市街を街頭にさらすことである。『史記・秦始皇帝本紀』に「敢えて『詩』『書』を偶語するものは棄市す。」
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