漢字初の解釈:琢・磨
「琢」は、『説文』に、琢は、玉を治るなりと言う。これは玉石を彫刻加工している意味である。字形では、玉は意符であり、玉石を表し、豖は音符である。改修、(文章の)遂行などの意味がある。
「磨(mo)」は、『説文』に、䃺(磨)は石の磑(ガイ)なり。これは石の磨(ひきうす)の意味である。字形では、『説文』に収録した時は「䃺」に作っている。「石」は意符であり、素材を表し、靡(マ)は音符である。動詞の研磨に発展している。あるいは研磨が本義で石のひきうすが派生義であると言う。
琢磨とは玉石を彫刻することで、品行を修養し、また詩文を修飾し、聖人の道を究明することを比喩している。この比喩の最初は、『詩経・衛風・淇奧』に、匪たる君子有り、切るが如くにある磋(す)るが如く、琢(う)つが如く磨くが如しにある。
いわゆる切、磋、琢、磨は、『爾雅』では「骨は之を刻(きざ)むと謂い、象は之を磋(みが)くと謂い、石は之を磨くと謂う」と区別している。
ここでは工匠の「治の精しきを以って、而して益々其の精を求む」の加工の比喩を通して、春秋時代の魏の武公の学問への熱い思い、鋭意的な研修を賛揚して、最終的に、「匪たる君子有り、金の如く、錫の如く、圭の如く、璧の如し」と才能と品徳は日に日に完璧となった。
この話のように、琢も磨も、作文、事業処理にさらに磨きをかけ、上昇し、更に自身を「謙謙たる君子、温潤 玉の如き」更に良い人間に磨き上げるようとするものである。
我々が現在常用している琢磨とは、思考、考慮する意味であります。zhuomoとも読まず、zuomoとも読んで、〜ことを琢磨し、また人を琢磨し、好きなことを琢磨し、また悪事を琢磨してもよいという中立的な言葉となっている。しかしこの思考はやまりその発音が端正で、意のままにならない琢磨zhuomo〜常に思考し、いかに良く事を促成し、よい人間になるのかを願うのである。
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