日中の絆
第一次世界大戦が勃発後、日本海軍は機に乗じて青島のドイツ進駐軍を襲撃し、陸軍は龍口から上陸して青島へ南進し、黄山館を経過する時、たまたま大雨が降り続き、海水が上昇し、界河が逆流、日本軍の兵は洪水に阻まれて前進できなくなり、黄山館一帯(徐福の故郷近く)で、軍紀が乱れて好きな勝手に横行した。
日本兵の横行は国際公法に違反し、中立国の主権を侵犯するものである。当時の中華北洋政府は、卑屈に腰を折り、日本軍の騒乱を勝手にさせ、見て見ぬふりをした。日本兵の鬼畜の行いは現地の村民を憤激させたが、徐先厳は民衆の安全のために、群衆を指揮し、拳棒(拳法と棒術)で日本兵を痛撃し、日本兵の軍帽を奪った(日本軍帽を無くすと刑罰に処せられるという)。村民の徐士清も奮闘し、太ももに刀傷を尾居ながらも、拳棒を振るって、連続して日本兵数人を打倒した。最後に徐先厳は群衆を率いて、黄山館の日本軍本部へ行き、日本兵の犯罪を訴え、日本軍司令官を自身の村に招いて現場を視察させた。日本軍司令官が自身の村の廟堂の前に来た時、高く掲げた「徐氏先祠」の扁額と大門に貼り付けた「功を東海に封じ、世々徐郷に衍(はびこ)る」という対聯(対句の門掛)を見た時、恭しく畏敬して、「解った、素晴らしい人々だ」と、過ちを認め、日本軍の村内立ち入りを禁止する布告を貼り付けた。
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