漢字の初解釈:恃・強
「恃」は、「説文解字」に、恃は、頼るなり。これは依頼するの意味である。字形は、心の偏旁は、「恃」が心理活動を表し、「寺」は音符である。
「強」の繁体には、「彊」、「強」の二種がある。『説文解字』に、彊は、弓に力有るなり、強靭な硬弓を指す。字形上は、弓は弓矢を指す象形の意符であり、畺は音符である。強堅、強大、強盛などの意味に進展した。「強」は米穀に発生する小さい黒虫(コクゾウムシ)であるが、後世借用して彊としたが次第に彊の取って代わった。「強」は「彊」の俗字。
恃強(じきょう)とは、自身の強大さを頼ること。元々この言葉はなかったが、兵法の感化を受けて、「恃強凌弱(強さを恃み弱き凌ぐ)」から切り取られた。
この兵法は『孫子・九変』に、「其の來らざるを恃(たの)むこと無く、吾の以って待つ有るを恃むなり。其の攻ざるを恃む無く、吾の攻む可からざる所有るを恃むなり。」。これは戦争中に敵が侵犯してこないことを望むことはできないことを意味して、自身が侵犯されないことに頼るしかないのである。考えてみれば、世の中の種々の「付きない」の保障は全くその党利であって、〜何も頼れることはなく、自分の実力だけが最も頼りになり、自己の強大さだけが唯一の頼りなのである。
更に良く考えれば、敢えて「付き合い」するにしても実際には頼れる強さが必要である。弱者は思わず態度を変えられないが、強者は和えて態度を通すだけである。見識があれば交流し、気力があれば気前良くなり、更に思いがあれば包容し、度量があれば拒絶するので、脆弱(ぜいじゃく)な面子を無くすとか、中身の損失がなければ、自身の世界を閉じて、有無を遮断して、人と「通」じないこともできないであろう。
だが頼ることは良いことであるが、「用心」も必要である。「恃強」で構成される言葉を見れば、恃強凌弱(弱い者虐め)、恃強欺弱(バカにする)、恃強怙寵(恩寵を頼る)、恃強争覇(覇権に頼る)がある。これらの「不平等」の熟語は、それ以外のものでもない。「強」いことはまるで傲慢身勝手で、やりたい放題をして天下を混乱させるであろう。
弱肉強食は人の性なのであろうか。「次元のアップグレード」は可能であろうか、〜強者を頼んで弱者を虐げず、逆に兼愛の心胆と攻撃しない器量があり、弱者を助け、強者と相互に良好で、愛の有無に関わらず、許すも憾むも全て更に高次で文明的な態度なのである。善良にして才気があり、才気もまた善良のためのものである。
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