1933年の煙台概要
煙台の歴史は煙台港の商業の中心地にあります。
明代には東洋武士集団襲来を防ぐためにここに狼煙台が設置されていたので煙台と呼ばれ、北に芝罘島があったので芝罘とも呼ばれていました。元々は福山県の漁村でした。1860年(清王朝の咸豊10年)、清英仏天津条約は商業港として登州を開港しましたが、その後、登州半島の内部は山岳地帯であり、浅い沿岸水域は大型船にとって不便であったため、英仏は登州を代わり煙台港を開港必要としました。1862年(同治1年)に正式に開港しました。煙台港の開港の商業ブーム以来、満州へのヨーロッパ製品の輸入は、最初にこれを通過し、次に安東大連牛莊に輸送され、北洋貿易港の中心となる必要があります。以後、北は大連が開港され、南は青島も開港され、南北貿易ルートを奪われて、煙台の大部分は山岳地帯です。大きな川や鉄道がないので、海岸との交通が便利です、しかし内陸輸送はかなり難しいので、煙台の事業は徐々に衰退してきました。将来、煙台港を繁栄させる為には、まず、山東省の内部を結ぶ煙台➖濰坊鉄道を迅速に建設する必要があります。煙台濰坊自動車道路はありますが、運賃が高すぎて促進出来ません。
著者 煙台張宜中
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