煙台中米友好の牌坊
煙台毓璜頂公園北斜面に1922年にキリスト教アメリカ長老派教会聖職者の使用の為に建てられた中山堂は、後に山東省立第八中学校で使用され、現在も残ってる。
1925年秋、煙台の地元商人牟君山、劉堂棣、孫灜九、賴玉圃などが出資して、キリスト教長老派教会の聖職者学校の建築物群を基礎として校舎建設を進めて、先志中学校と渤海中学校を併合して東海中学校とした。1902年に創建された登州中学学堂は、1929年10月に煙台に移転し、東海中学校と併合し、1934年1月に山東省立第八中学校に校名を改めた。併合当初校舎が不足していて、キリスト教アメリカ長老派教会は毓璜頂の地所(じしょ)建物を学校使用に譲った。
煙台の役所と商工会はキリスト教アメリカ長老派教会が煙台に対する貢献を記念する為に、煙台毓璜頂公園北斜面に、1922年に建設されて未使用であったキリスト教アメリカ長老派教会聖職者会学校内に中米友好牌楼を建立して、牌楼上には、牌楼上には「DEDICATED TO AND ERECTED IN HONOR OF THE CITIZENS OF THE UNITED STATES OF AMERICA OUR FRIENDS ACROSS THE SEAS MAY THERE BE ETERNAL PEACE BETWEEN THE TWO PEOPLES Lin Tze Heng September 1921」と英文で刻まれた。,中国語翻訳すると「海を越えいらっしゃった我らが友人ーアメリカ合衆国民の記念と表彰の為に謹んでこの牌楼を建立す、願わくば両国人民の平和恒存を。林澤恒(述)、1921年9月」と漢字で刻まれた。牌楼は三間四柱三層の形式で、表面に生々とした花鳥動植物の図案が彫刻され、造形は洗練され、彫刻は精美な、典型的な記念に類する牌楼であった。新中国後取り壊された。
著者 煙台張宜中
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。