山東省藍鯨野球・ソフトボール倶楽部国際交流センター

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ようこそ、孔子のふるさとへ。
悠久の歴史を尋ねて旅立てば、孔子のふるさと中国山東省はすぐ近くです。ここは中国文明揺籃の大地。山東省エリアには中国伝統文化を形成し、子々孫々に伝えられ、多くの古代聖人がここで生まれました.「至聖孔子」、「亜聖孟子」、「兵聖孫子」、「書聖王羲之」、「智聖諸葛孔明」······3000年前の周代、このあたりには多数の国家がありました、斉国、魯国は殊に有名で、今も山東省のことを斉魯大地と呼びます。
朋あり遠方より来る、また楽しいからずやと孔子が語ったように山東省は「孔孟の故郷、礼儀の邦」として、歴史資源に豊み、多彩な伝統習慣を継承し、「周礼」から「論語」まで数多くの儒教聖典を生んできました。古代から現代まで、明るい山東人は忠実·仁義尊守、こつこつと「フレンドリー山東」を実践しております。
百聞は一見にしかず、ようこそ山東へ、いらっしゃい!
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絵画芸術浅説➖中国絵画

世界絵画の両体系から見ると、中国画を代表とする東洋絵画と油絵を代表とする西洋絵画は、それぞれ独自の基本的特徴と歴史伝統があり、従っておのおの不同の表現形式と観賞の特徴がある。

中国絵画は、国画と略称し、世界美術の領域では独自の体系をなし、単独の特色があり、東洋絵画体系の主流となっている。西洋絵画と比較すると、中国絵画には自身の特徴は大変多く、概括すると、主要な表現は次の四つの方面にある。

第一に、はじめ、用具材料に現れるが、中国絵画は往々にして中国特産の毛筆(もうひつ)、墨(すみ)または顔料(がんりょう)を採用して画仙紙(がせんし)または画絹に描く。このため、中国画はまた「水墨画(すいぼくが)」または「墨彩画」と称される。

特製の毛筆で描くので、「筆墨(ひつぼく)」は中国絵画技法と理論中の重要な専門用語となり、時には中国絵画技法の総称となっている。いわゆる「筆」は勾(輪郭)、勒(彩色)、皴(渇筆)、点(点苔)などの毛筆を運用した技巧と方法の異なるもので、中国絵画の表現に限りなく変化する線条の情緒を表現する。いわゆる住は、つまり中国で墨でもって色付けすることを指し、烘、染、溌、積などの墨法を運用して、墨彩にゆたかで細やかな深度の変化を生み出すが、つまりよく言われる墨は五色(墨色の、かすれ、濃、厚、淡、澄の五種不同の深度)あるいは「とく「六彩」(上の「五彩」に画仙紙の白を加える)に分かれ、墨一色を以て色を加える中国絵画に独特で豊富な芸術表現力を備えさせている。

第二に、中国絵画は構図方法に焦点透視の束縛(そくばく)を受けず、多く散点透視を採用して、視野を果てなく広げて、構図を自由に融通(ゆうずう)させ、画中の物像は随意に配置され、時間と空間の制約を突破している。

中国絵画の作り出す空間は多種多様であるが、その中の主要なものは三種で、「全景式空間」と「分割式空間」「階層式空間」である。「全景式空間」はある種の高さより低きに転じ、遠くより近くに旋回する往復式の移動空間である。例えば五代後梁の画家荊浩の山水名作『匡盧図』は、これは一幅の全景式の絹本水墨画で、幾重もの山々、飛漂流泉、家屋や庭園、道行く人や小舟が完全に整った画面の中に巧妙に組織され、構図上に風情があり、変化が豊富な、一つの全景山水の壮観な場面を形成している。「分割式空間」は時空の制限を突破し、異時間と異空間の事物を一画面の中に配置することができる。例えば、五代南唐の画家顧閎中の不朽の名作『韓熙載夜宴圖』は、五段の連続する画面で構成される一幅の長巻で、韓熙載という人物が異なる画面に何度も出現している。また北宋画家張擇端の有名な風俗画長巻《清明上河圖》は、散点透視法で汴河西岸数十里の繁栄する光景を農村、虹橋、市街の三段に区分し、この区分の構図を通して北宋首都汴京を城外の農村から城内の市街の賑やかな場面までを展開している。「階層式空間」の、最も典型的なものは長沙馬王堆の漢墓出土のT字形帛画で、画を三段に分け、天上界、人間界、地下界の異なる景況を展開し、かつ一つの共同の時間を通してこの三つの空間を連携している。中国絵画の構図方法のこの特徴は、情景を融合する美学追求と高度な要点を得ている表現手法に根差している。従って、中国絵画は空間と時間の制限を受けず、非常に自由で融通性があり、山水画中で大を持って小を観で、花鳥画中では小を以て大を見て、簡略な筆墨で豊富な内容を描写している。

第三に、中国絵画にはまた一つの重要な特徴があり、それは絵画と詩文、書、篆刻が有機的に結合し、相互に補完し、交錯して照り映え(てりはえる)、中国絵画独特の内容と形式美を形成している。現存する多くの伝統国画は皆題画詩や識語があり、画意、詩情、書を融合して一体としている。

題画詩は通常画家本人あるいはそのほかの人人が題した詩で、多くは画幅の隅の空白の場所に現れ、その内容は画意の指摘を得、または画趣を増加し、あるいは印象を表出し、また画芸を評論して、詩中に画あり、画中に詩がある、独特の芸術の魅力を備えている。西洋の画家は作品が完成後、画面の一角にサインをするだけであるが、中国画家は画面に印章を押す。印章の意義は不完全に名を留めて、その内容は名や号のほか、往々にして格言や画家の心情があり、画の内容を相補(そうほ)完し、同様の作品の有機的な組成(そせい)要素となっている。中国絵画中の落款は、一般に作画時、場所と画家の姓名、字号と、表題、詩文、印章などを包括し、中国の伝統絵画に特有の民族形式を形成している。最もそれは文人画が出現してからで、いささかの有名画家や往々にして詩人と書家が、さらに詩、書、画、印を結合し完璧な芸術境地へ推進している。

第四に、根本的に言えば、中国絵画の特徴は中華民族の悠久な伝統文化と豊富な美学思想に来源がある。中国絵画の伝統画法には形似(けいじ)画があり、また写意画(しゃいが)がある。

前者は用筆(ようひつ)を細密(さいみつ)で丁寧にして、構成を厳密にし、人物あるいは物象を問わず描写は全て細やかである。後者は筆墨(ひつぼく)を簡潔で洗練し、高度にまとめられ物象の形象精神と書法作者の感情を洒脱(しゃだつ)に表現している。しかし、形似画にしても写意画にしても、形象精神関係を処理する時は「形象精神の兼備」が求められ。造形と表現されたのには「気韻生動(生命感や情緒、気品)が求められる。中国絵画を纏める(まとめる)美学の追求は、物象を迫真(はくしん)、酷似(こくじ)に描くことではなく、筆墨の情緒を通して胸中を表出(ひょうしゅつ)し、心情を寄託している。画家は往々にして山水の一部や、花果の一枝や実一つを描くだけで、画中に大量の余白をとどめ、鑑賞者のために想像の余地を残している正に清代の絵画評論家笪重光がいうところの「虚実相生じ、画無き処は皆妙境となる(実体の有無が生じることによって、絵のない部分が素晴らしい境地となる)」である。

(「画簽」)もし一言で中国絵画と西洋絵画の区別を簡単に概括すると、西洋絵画は客観的な物象(ぶっしょう)の姿形(すがたかたち)を迫真(はくしん)的に再現し、中国絵画は物象の内在する精神と作者の主観的な感情の表現をさらに重視している。よって、中国絵画は大いに「構想」と「伝神(精神性)」を強調している。

東晋の顧愷之は「形を以って神を写す(形を画いて精神感情を表現)」と「思いを遷して妙得得す(思いを巡らして対象の気韻を掴む)」を提示して、人物の典型的特徴を把握してその内在する精神を表現をもたらすことを求めた。この要求に達するために、画家は自己の芸術的イメージを充分に発揮し、自己の理想と情感に浸透すべきである。南斉画家謝赫が提案した有名な「絵画六様」の、第一条は「気韵生動(生命感と情緒)」である。唐代の画家張彥遠も形似(外観)と神似(内面)の結合から謝赫提案の「絵画六様」を解釈し、また絵画創作の規律を「意存筆先,画尽意在。(心を筆先に残し、絵画は心を尽くす点にある」と要約し、画家の主体的精神と創造能力は客観的な物象の描写を超越(ちょうえつ)すべきであると考えた。中国絵画には多くの分野に分かれて、基本分野から見れば人物、山水、花鳥、宮室画(定規を使う技法)などを包括しているが、「気韻生動」と「形神兼備」を追求しないものはなく、「伝神(迫真)」と「意境(情緒)」を追求すれば、人や物を画く時に、画家は人や物に迫真(はくしん)し、生き生きと人や物の様子、すなわち人や物の精神気質と性格特徴を表現することができる。すなわち無生命の山水や無意識である花鳥に対面する時にも、画家も景色や物体に気持ちを込めることができ、それらに人格化した精神気質を付与して、それらに活発な生命とオーラを付与する。正にこれは民俗文化の美学的思想に根差したもので、中国絵画の基本的特徴と芸術の特色を形成した。とりわけ儒学の美学、道家の美学、禅宗の美学を代表とする中国伝統美学は中国の伝統芸術に対して巨大な深遠な影響を生み出し、独自な特色を備えた中国の芸術精神を形成した。この種の中国の芸術精神は、我々は6文字で概括できる。

道--中国伝統芸術の精神性

気--中国伝統芸術の生命性

心--中国伝統芸術の主体性

舞--中国伝統芸術のリズム的音楽性

悟--中国伝統芸術の直感的思考

和--中国伝統芸術の弁証的思考

この種の中国伝統芸術の精神は、中国芸術を西洋芸術と全く異ならせ、中国絵画を西洋絵画と全く異ならせ、自己の鮮明な民俗風格と民俗的特色を備えさせた。

中国絵画は悠久の歴史と優良な伝統を持っている。戦国時代の帛画、漢代の画像磚(がぞうせん)と画像石は」、共にすでに非常に高い水準を備えていた。魏晋南北朝以来、更に多くの有名な画家と流派が出現し、各々鮮明な芸術的特色と風格を備えた。魏晋六朝時代には「六朝三傑」、すなわち東晋の顧愷之、南朝宋の陸探微と梁の張僧繇三大家が現れた。唐宋時期には中国絵画芸術が最高峰に到達した時代で、もとからある人物画のほか、山水画、花鳥画など全て独立した分野となった。この時期の人物画家には、後世「画聖」と尊敬された吳道子や、歴史画と肖像画に長じた閻立本などの人が現れた。この時期の山水画はさらに異なる風格や流派を形成した。当代の李思訓は青緑山水に長じ、王維は水墨山水に長じ、五代の荊浩、関同は、中原地帯の実景の描写を主とする北方山水画派であり、董源、巨然は江南の風物特色の描写を主とする南方山水画派である。南宋の李成、範寛は雄奇壮観な北方の山水を多く語り、南宋の馬縁、夏圭は即ち少きを以て多きに勝る山の半分や水の一部を画くことを追求した。唐宋時期には、馬画に長じた曹覇、韓幹、牛画に長じた戴嵩、花鳥画に長じた黄荃、徐熙、そして文同、蘇軾、米芾を代表とする文人画家が輩出した。元明清時期には中国絵画芸術は承前啓後(しょうぜんけいご)であった。

「元代四大家」は元代山水画科黄公望、吳鎮、王蒙、倪瓚等の人で、彼らは伝統的水墨山水画の発展に重要な作用を起こした。「明代四大家」はまた「呉門四家」とも称し明代中期の蘇州で絵画活動に従事した沈周、文徵明、唐寅、仇英を指し、彼らをトップとして明代に影響をした最大の画派となった。「四大名僧」は明末清初の四名の剃髪して僧となった画家で、すなわち石濤、八大山人、石溪、弘仁で、彼らは皆山水画に長じて、それぞれ特色があった。「揚州八怪」はすなわち清乾隆年間に江蘇省揚州で活躍した八人の風格が似通った革新派画家の総称で、彼らの共同する特徴は個性を強調した表現である。近・現代の中国画壇は、さらに人材が輩出し、趙之謙、任伯年、吳昌碩、高剣父、及び斉白石、黄賓虹、徐悲鴻、潘天壽、張大千、劉海粟、林鳳眠、傅抱石などの人が出現して、彼らは中国海外芸術を継承と発揚のために卓越した貢献を作り出した。

著者 煙台 王筱蕙

日本文資料整理 威海 李君