旅順大案子山堡塁と椅子山堡塁の地下室は何のために在るのか
旅順大案子山堡塁と椅子山堡塁を参観すると、二つの隠蔽部が相似してほぼ同じ地下室に設計されているのを発見できる。地下室の上にはU字鋼が横たわり、何年か前にある人が鋼材を必要としたため隠蔽部の鋼材の蓋を破壊した。この地下室は何に使われたものなのか。幾つかの異なる説明があり、あるいは地下貯蔵室といい、また発電設備を設置したとも言う。
大案子山の掩蔽(えんぺい)部地下室
椅子山地下室
最近日本人が椅子山堡塁隠蔽部を参観している旧写真を発見したが、画面には3人が居て、その中の2人は地下室に近づき検査し、1人は遠くに立っている。画面はちょっと判然としないが、貴重なのはこの写真の下面に文字があることである。私はこの画面に対して人に処理を頼んだ。人に文字の翻訳を頼むと:意味は、旅順の椅子山の表面に露出した隠蔽部内面には床下に厨房(ちゅうぼう)が窺う事ができる。下面の英文は、旅順の椅子山堡塁の廃墟である。port arthur は西洋人が旅順に対する旧称である。戦後間もなくの、日本人が考証した真実は、信頼できるもので、その地下室は厨房であった。
文字以外に、他に何が地下室が調理をする場所である場所を証明できるのか。我々は大案子山の古い写真を見ると、そこは戦争を過ごしておらず、砲台と遮蔽部の保護は基本的に完全であった。地下厨房が遮蔽された上部は口径の煙突があり、この煙突は地下室が生活で調理をした場所を証明し、排煙に用いられたものである。ある人はこれが一種の装飾物と認識する人もいたが、もし装飾物ならば一片一個が対称になっているはずである。見たところは上面で砲火が連日在っても、下面ではいつも通り調理できた。戦争には食事をしないことは不
可能であリ、食事の準備には安全な場所が必要である。
大案子山掩蔽部上方の煙突
煙突も倒れた
あの煙突は古く、煙突の片側には樹木が成長し、煙突は片側に倒れてる。煙突を突き飛ばしたあの樹木の生長は確かで、旺盛であった。
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