2023年お勧めコース:蓬莱 龍口 青州 臨淄 泰山 曲阜 臨沂 諸城 煙台 威海 石島八日間
中国仙境ー蓬莱閣
中国の昔の伝説では、海中に三仙山あり、名を蓬莱、方丈、瀛州という。そこには仙人が住み、不老長生の薬がある。だから中国は蓬莱という言葉に拘る。仙人が住む仙山のことをイメージする。蓬莱は仙境の代名詞として戦国時代の道士(仙術使い)達により称し響いたのだ。蓬莱城北の海面は常に蜃気楼が出現するので、当時の人達はこの自然現象に対して科学の解釈するすべはなく真っ直ぐ道士達はこれに誇張神話を加えて、あれは海上の神山で、山上には神仙で、山上には神仙が住み、おまけに不老長生の薬があると言ったのだ。
道士の扇動により戦国時代の斉の威王、斉の宣王、燕の昭王は皆嘗て人を此処に派遣して仙人を探して薬を求めた。
秦の始皇帝は六ヶ国を統一後大秦国の国土不変と自分の不老長生を求め、名声を慕い、此処に至り神山を探して、仙人を求めて未だ結果を得られぬ故、西暦紀元前210年道士徐福を派遣して、3000人の童男童女を率いて海に入り仙人求めた。
史書には秦の始皇帝の漢の武帝が仙人と仙薬を探し求めて当所にやって来たとある。漢の武帝が仙道を求める活動は始皇帝より熱心で、及ばないことはありませんでした。漢の武帝は23年の間、次々に8回の巡行をしましたが、殆ど毎回、蓬莱に到達しています。漢の元光二年(紀元前133年)、彼は最後の巡行で再び神山に行きたいと願ったがかなわず、他ならぬ、この築起の小さい城を蓬莱と名付けました。これにより、実在の仙境「蓬莱」がこの世に存在するようになりました…。
泰山
泰安市泰山は山東省中部に位置しています。北は省都済南に依り、南は孔子の故里曲阜と隣合わせています、西に黄河があります。泰安市は温暖大陸性半湿潤季節風気候区に属し、四季がはっきりしていて、過ごしやすく、光と明るさが同じ季節です。五岳の首位の泰山は気宇雄大で風光は秀麗で、自然の景観と人文遺産の二つの世界遺産に登録された。春秋戦国時代から泰山では斉魯文化が繁栄してきました。秦の始皇帝が即位の時、此処で封禅の儀式を行ったのをきっかに、漢武帝、光武帝、唐の高宗、玄宗、北宋で真宗、清の康熙、乾隆など12名の帝王が神霊を祭り、国家安泰を祈ったので、全国有名になリました。泰山の総面積の80%は植物の覆われています。これは北方の山では珍しいです。中でも、貴重な薬材となる泰山霊芝、何首烏、紫草、四葉参、黄精などがあリます…。
曲阜孔廟 孔府 孔林
曲阜は山東省西南部に位置して、総面積890平方㌖、人口は62万人に達しています。面白いことに孔姓を名乗る人が全市人口の1/5もおり、その繁栄ぶりが伺われます。曲阜は孔子の街。古くは伝説の「三皇五帝」時代の内、四人の帝王の遺跡も曲阜に伝えられており、周の時代は魯国の都として栄えた。孔子・孟子・顔子らを輩出した街でもある。孔子の死後、2500年を渡って儒教の聖地として栄え、今なお多くの人を集めている。孔廟、孔府、孔林は世界遺産に登録されている…。
煙台山公園
1858年第ニ次アヘン戦争、イギリスとフランスの艦隊は煙台湾に集結させ、煙台山龍王廟はフランス軍の司令部に仕え、清代同治元年(1862年)煙台港は開放され、合わせて17カ国は煙台で領事館を設け、煙台山にイギリス、アメリカ、日本など6カ国は領事館を建築した…。
赤山法華院
2500年前に石島は戦国時代の斉の港町、中国大陸の東はての地、既に対外貿易の窓口である、中韓両国の民間の交流の地、民族移動の地として有名です。匈奴の王子の末裔(金日磾の末裔)は此処から海を渡って韓半島に避難。後の新羅の王は大陸から逃れた金日磾の子孫である。九世紀前半、山東半島の港町・赤山に多くの新羅人が居留する所となっていた。新羅人と唐の人の通婚の現象が多いです。韓半島からの新羅人の先祖は多分大陸からの人である。民国時代まで中国人と韓半島からの人の通婚現象が多いから、不法在留の人が多いです。山東半島は後漢から既に仏教伝来した。韓半島の仏教伝来は多分此処から伝来した。赤山法華院の年代不詳,赤山西側(槎山)の千仏洞は多分北斎時代のものである。赤山法華院は多分韓半島からの留学僧の修行の寺である。赤山法華院は入唐請益僧円仁の長期不法を実現、不法在留を決意した円仁の為に地方役人と交渉して旅行許可書を取り付けるしたのを始め、円仁の9年六ヶ月の求法の旅を物心両面に渡って支援した。
槎山
槎山の「槎」の字は古代の「筏」だと解釈されるが、船の意味でもある。槎山は山のすぐそばに海があるので、春夏秋には海霧が岸から立ち上がり、渦巻きながら上昇して雲海を形成する。槎山の九つの頂だけが雲海の上に出て、小舟のように見え、「山は海上の槎の如し」から、槎山の名がつけられた。
槎山は中国北方第一の雲霧山である。また槎山全体が花崗岩でできているため、その色は鉄のように黒く、「鉄槎山」又は「九頂鉄槎山」と呼ばれる。
増福延寿宮は元々は、金王朝の大定年間に建てられたもので、眼前の深い谷と後ろの雲光洞に面しており心地良い景色を楽しめます(景色はとても良い)。
最初の建築から千年の歴史があり、何度も修理されていますが、本来の建築様式を維持しています…。
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中国国旅(威海)国際旅行社日本部担当者 李君
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