婚約13年でも全く会ったことがなかったが、胡適はわざわざ江冬秀に会いに行ったが、彼女はカーテンを引いてどうあっても嫌がった
1927年、胡適は27歳であった。彼と江冬秀は婚約13年目であったが、全く会ったことがなかった。念願を叶えるために、彼はわざわざ江家を訪ね、面会を求めた。江家の人は口を揃えて賛成したが、江冬秀は唯一人でカーテンを閉めて、どうあっても嫌がった。
江冬秀は胡適より1歳上で、二人が婚約した時、江冬秀は14歳、胡適は13歳であった。
彼らは親戚で、胡適の姑は、江冬秀の母方の叔母であった。
二人の婚約は、言わば、ドラマチックであった。
当時、江冬秀の母親が親戚宅に行き、偶然13歳の胡適を見かけた。
彼女は胡適が生来眉目秀麗であるのを見て、娘を彼の許嫁(いいなづけ)にしたいと思った。
しかし、胡適の母親は表明することを躊躇っていた。
胡適の母親が躊躇ったのは、主に三つの理由がある。
第一に、江冬秀は胡適より1歳年上で、不相応であった。
民間には「男性は10歳年上でも良いが、女性は1歳上でもいけない」という言い方がある。
第二に、江冬秀は虎(寅年生)に属し、胡適は兎(卯年生)に属した。
胡適の母親は、虎に属する人は生辰八字が強く、このため「母老虎」なのは利害がある。そして胡適は兎に属し、二人の五行相克(占いの相性)が心懸かりであった。
第三に、胡適は既に没落しており、出世が望めなかったことである。
実際は、前の二つの理由は、見せかけの行動である。本当の理由は、胡適の母親は胡家が既に暮らし向きが衰退しているのに、江家は正に日が高く登っているようで、(格差に)高望みせず、吉凶に走って都合したのである。
だが、江冬秀の母親は胡適が大変好みであった。
彼女は特に胡適の叔父に口利きを頼み、また江冬秀の私塾の先生胡祥鑒に仲人を頼んだ。
最終的に、胡適の母親は同意を渋り、ようやく四柱推命で見ることを答えた。
占い師は運勢を占って、胡適の母に「これは一門に良いご縁である。」と説いた。
胡適の母親はそれでも安心せず、再び江冬秀の八字(四柱推命)を竹筒に放り込み(ほうりこむ)、その後敬虔に竈神を拝んで、竹筒を振り、落ちて来た八字は、正に江冬秀のものであった。
この大波乱の後、胡適の母親は両家の結婚に同意した。
二人は婚約し、14歳の江冬秀は、家で覚悟して嫁入りを待っていた。
一方胡適は上海と、アメリカに行き学問を求めた。
ようこそ 山東省へ
中国山東省旅行:ゴルフ:ご宿泊施設:レンタカー等も何でもお任せください。
彼らはずっと顔を合わせることはなかった。
ただ新式の教育を受けた胡適は、どうして父母が独断した婚姻を平然と受け入れられるのであろうか。
そこで、彼は「引き伸ばす」という奥の手を使って、婚約に対処した。
1908年、両人この婚約3年目、江家では嫁入り道具が揃ったので、嫁ぐことになった。胡適の母親も新居を準備し、陰陽師に吉日を選ばせ、胡適の帰宅を待って結婚した。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。