旅順博物館の元代の大鐘
祈福鐘の概説
祈福鐘は今を去る650年の歴史がある。紀元1347年(元順帝の至正6年)、元朝朝廷は高麗国で仏法を弘揚(ひろめる)するために、皇帝が出資と臣下を派遣して高麗でこの鐘を鋳造した。紀元1905年に、日本の東本願寺派仏教法師阿部栄が大連に来て布教と東本願寺(現在の大連京劇団所在地)の建造に着手した。(翌)紀元1906年、彼は朝鮮仁川で布教の時に中国元朝の古鐘を獲得したことを日本当局に報告して、日本当局は古鐘を大連に運び、東本願寺へ据えた(すえる)。
1958年に、東本願寺周辺が改造され、古鐘は労働公園に移転された。古鐘の裂口は1957年に人により壊された。この鐘の鍾体は蘭査体梵字の「阿羅尼呪」経文で、主要な内容は各方の仏祖の平安健康の加護を記念するもので、ゆえに「祈福鐘」という。
蘭査体はチベットとネパール地区の仏教徒が持ちいた彫刻あるいは書写表題の一種の書法家が書写した装飾文字で、呪文の書写に常用された。中国では元代以後も梵字蘭査体が流行し始め、清代になると仏教文献中で、使用される梵字は皆蘭査体梵字で書写された。我々は古鐘上の文字を認識できず不足で奇妙としている。
2007年古鐘は旅順博物館の収蔵に進められた。祈福鐘の高さ2.2米、口径1.35米、重さ1.67トン。この元代の鐘は675年の歴史があり、中国仏教史の研究に対し、重要な価値を具有している。現在国家二級文物である。
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