ソ連軍兵士は木の上に立った
旅順植物園は太陽溝風景区に位置し、南面は旅順グラウンド、北は旅順動物園に接近している。初めは1902年のロシアの旅順大連の強制租借時期に建てられた、大連地区で建設された最も早期の植物園で、4万平方メートルを占める。
日本統治時期には、名を「後楽園」と定められた。1945年に日本が投降すると、「解放公園」と改められ、ソ連軍により直接経営された。1955年にソ連軍は地方に駐留管理を下げ渡し撤退し、1983年に国務院は軍隊を地方に引き渡すことの決定を経て、名を「旅順植物園」と定められた。
園内には貴重な樹木160株余りが植栽されている。その内モミジバスズカケノキ(ニ玉鈴懸の木)は百年の樹齢があり、東北地区最大の一株である。
旅順には、同種の大樹が二本ある。この木は、旅順の龍引泉のその樹高はないが、龍引泉のその木は植物園ほどの太さがない。この樹木は1955年には既に太く、その上に9人のソ連軍兵士が立っても余裕があった。
この木は1950年代には、樹下に保護用の欄干があったが、現在では無くなったようである。樹下の木質のベンチには子供や行楽客が休憩したが、現在では見られなくなった。
1902年に植栽されたモミジバスズカケノキ(ニ玉鈴懸の木)は依然として根が深く葉が茂り、樹上樹下に居たあのソ連軍兵士は何人か健在なのであろうか。
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