旅順白玉塔の三つの名前
日露戦争の後、「戦死者の英霊の、千年もその烈戦の遺跡を伝え、日本の当局は納骨堂内の24,446人の英霊を祭典し戦争を鼓舞(こぶ)するために、墳墓の前に天皇の忠誠を現す高大な記念塔を修築し、表忠塔と命名した。
1945年8月ソ連軍が旅順に進駐した後塔を壊すことができなかったので、表忠塔の三つの文字は掻き落とされた。後に我々は白玉山の前二文字を使って白玉塔と命名した。この名を仔細に考えると確実に妥当でないところがあり、日本人は戦死者を「玉砕」と称すが、我々は侵略者が祭典した亡霊の塔を白玉塔と称したのは、無意識中にも賛美の意味があるのではないだろうか。1986年4月16日に、正式に白玉山塔と命名されたが、これは何色も帯びていない中立的な名である。
この塔に対してあまり理解していないまま、文学作品を発表した文学愛好者があり、またこの塔に対してあまり研究しないまま、塔の名と形状を用いて商品を製作商人もある。
何年も前に、ある人が白玉山塔に詩を書いたが、その一節の大体の意味:「白玉山塔、あなたはまるですらりとした少女のように、ハンカチを振るって、遠洋から帰還した戦艦を迎えるようである。白玉山塔、あなたはまるで世世を経験した老人のように、旅順の苦難の歴史を語る。」この詩は意外にも遼寧省の文学刊行物に正式に発表された。旅順の日露監獄展覧館館長はこれを見て大変憤慨したので、この雑誌は書面で謝罪した。見たところこの詩の作者と雑誌社の編集は白玉山塔に対して大変曖昧な認識であったようだ。何とすらりと佇む少女、世世を経験した老人、それは武力をひけらかす砲弾、亡霊を祀る蝋燭であった。
2013年に、ある人が屈辱の歴史を忘れないために、白玉塔酒を登記したが、もう放棄され何年も経った「白玉塔」の名に話題を提起して、しかも酒瓶の形状を白玉山塔を形とした。旅順市内には解放、勝利、友情の三塔があるが、どうして「解放塔酒」、「勝利塔酒」、「友誼塔酒」を作って、解放を記念し、勝利を祝い、友誼を讃頌(さんしょう)しなかったのであろうか。一昨年、太陽溝陶芸館が開催した如何に戦争遺跡を利用し旅行業の発展を推進するの検討会で、80歳余りの老館長で当市の主要リーダーが白玉山塔の形状をした酒瓶をテーブル上に置き、このような政治を考えず思考のない行為を叱責した。大げさに思う人がいるかもしれないが、あなたが日本人の初めた名を直接使うのを妨げ(さまたげる)ずに、「表忠塔酒」を生産したらどんな結果になるのかを見て見なさい。
それは日本人が戦死者を悼み、その烈戦を伝え、表忠塔で各種の記念物を製作した。その一つに酒瓶に表忠塔の図案を帯びたものがある。我々はあえて塔の形状を利用して酒瓶を作り、長年廃棄された賛美を暗示する名を選択した。
上記二つの事情から、私は改革開放(資本主義)の当初、ある人が白洋淀景勝地で日本軍の軍服を着て写真を撮ったが、この種の行為は中国中央テレビ(CCTV)で名指して批評された。数年前には有名な俳優が日本の日章旗(にっしょうき)の服装で写真を撮り、人々の非難とマスコミの封殺に遇った。小学校教科書のアメリカの国旗、間違った中国国旗、雷鋒の背負うおばさんが日本兵になった姿など、これらは全て腹に一物のある裏切り者の行為であり、厳しい罰則(ばっそく)を課す(かす)べきである。2019年3月、何人かの中国人がドイツの国会議事堂の前でナチスの敬礼をした。彼らはすぐさまドイツの警察摘み出された(つまみだされる)。ドイツの刑法は、何人もドイツ国内でナチスの各種服装、敬礼などを使用することは、全て違法行為であり、軽くとも罰金、重ければ3年以上の懲役となる。
白玉山塔の来歴と、名の変化の過程ははっきり理解されているので、文学作品の創作に関わらず、商品の製作さえも、日本人に不滅とされる大和魂の表忠塔に対するには必ず慎重さが必要である。
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