蓬莱水城
蓬莱水城は備倭城とも言う。倭寇に備えた城の意味。蓬莱県の県城の北、丹崖の東麓にある。北に海を隔てて長山列島と相対し、山と海に挟まれた地勢の険しい古代水軍基地です。水門、防波台、平浪台、埠頭、灯台、城壁、敵台、砲台、護城河(外堀)などの海港建築家と防衛性建築は皆綺麗に保存されており、国内の現存建物ではもっとも整っている古代海軍基地です。元々は北宋の慶暦二年(1042)に契丹(遼)に備えて設置された要塞であったが、明の洪武9年(1376)、倭寇(海賊)が侵攻し、、海防が急務となったので、要塞の跡地に水城を築いた。土・石・煉瓦の混合構造で、南北に長い長方形で周囲は合わせて2200㎡に達する。城の周囲は1.5Km、城壁の高さ三丈五尺、厚さ一丈一尺、外層は石積みでできています。東、西、北の三面には見張台があります。築城から今日まで600年余りになるが、立地の選択・港湾の開設・構築技術などに独自の工夫がなされ、中国の港湾建築史に重要な地位を占める。
明代の有名な武将・戚継光はこの蓬莱の出身で、倭寇及びモンゴルと戦った明代英雄を代表する。戚継光は北虜南倭の防衛に活躍した英雄。山東省登州衛軍職の家に生まれた。実戦を元にした兵法書「紀効新書」は日本でも愛読された。長城が現在の形になったのは、明の時代(14世紀から17世紀)である。万里の長城は16世紀に今の姿になる。戚継光という優れた武将によって、石積みや土壁の城壁が煉瓦によって補強されたのだ。北京を守るおよそ1500㌖に渡る長城を煉瓦で改築。更に1000を超える「空心敵台」という兵士が常駐する見張り所を新たに建設。最強の城壁となった万里の長城は国境地帯を安定させる。
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