威海海星学校(旧フランスカトリック教会学校)
1907年、威海フランスカトリックのフランシスコ会は中国の男児を専門に受け入れるテスト・ジョセフ・ローマン・キャットホリック・ミシオン・スクール(別名:海星学校)を創設した。当初はHallam神父が校務を司リ、主な教育内容は基礎中国語とキリスト教教義であった。初期の受け入れ学生は10名のみであったが、1914年に20名まで増員、1924年には151名まで激増し、1925年は241名、1927年にはイギリス租界時代として最大の264名に達した。威海が国民政府に返還された後も、海星学校は引き続きフランシスコ会が管理した。しかし、校長は中国籍のフランシスコ会修道士に交代した。
学校は宗教的色彩が濃厚で、聖書は必須科目、宗教的祝日には学生全員の参加が求められ、日曜日に聖堂に集まることも要求された。同時に学校は西洋の近代的教育体制と教育内容を導入したため、教学の質は比較的高かった。空軍戦闘英雄と称えられた元解放軍司令官の王海、有名な漫画家の畢克官、著名な歴史家の戚其章、威海地方史専門家の劉徳煜、彼ら全てが同校のこの時期の学生である。
1902年フランスカトリック教会が三角花園の西側に海星小学校を建設したが、これは当時としては高層建築と言える。
本堂は4階建てで、四角い窓、アーチ型の扉、窓に沿って地面から聳え立つ石組みの柱、パラペット(娘壁)にはレリーフ彫刻が施されている。副ビルは小さな2階建の建物、床の前面には石積みのアーチ型ポーチのドアで作られ、4面勾配の屋根は、天窓に開いている。
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